半世紀の歩み


キャンパス移転時の自然保護運動が契機となって1975年に「自然保存地」に指定されましたが、半世紀近く放置され、自然環境の劣化と生物多様性の低下が進んでいます。

      


バンの集団繁殖発見

現在大学のある土地は湿地帯になっておりヨシが生い茂っていました。1969年秋、日本野鳥の会岐阜支部の会員によってバン(鷭)の生息が発見されました。珍しい集団繁殖地でもあったこの池は、当時ブームにより増加しつつあった野鳥観察家によって『鷭ヶ池(バンガ池)』と名付けられました。

※画像引用(左):岐阜大学生物科学研究会鳥班 (1974). 岐阜大学移転統合計画に関する要望書.(バンとその雛(昭和46年6月22日 撮影:伊藤良昭氏))
※画像引用(右):岐阜大学祭シンポジウム「鷭ヶ池からみる岐阜大学の環境」実行委員会 (1998). 鷭ヶ池からみる岐阜大学の環境 ー1997年「岐阜大学祭シンポジウム」記録ー.


岐阜大学の移転問題

岐阜大学は鷭ヶ池を含む湿地帯(約56ha)にキャンパスを統合移転することを検討していました。野鳥の会は県環境部などに訴え始め、岐阜大学生物科学研究会は6月からバンの生態調査に乗り出しました。11月には土地の買収が本決まりとなりました。


鷭ヶ池保存の難航

野鳥の会と岐阜大学生物科学研究会は今西錦司学長にそれぞれ要望書を提出しました。しかし、用地買収が難航したこと、キャンパス計画がまとまらなかったことにより交渉は難航しました。このような状況の中、大学側の回答は、「趣旨はわかるが、保存は敷地面積の関係で難しい。」というものでした。


自然保存地の誕生

キャンパス計画の検討において、各学部とも鷭ヶ池の保存を前提としたプランを提出しました。野鳥の生息に適した環境を整えるため、農場を接して配置し、建物は遠ざけられました。保存地確保のため学部棟は当初の5階から7階へと変更されました。


姿を消したバン

1971年に27巣確認されていたバンの集団繁殖は1972年の集中豪雨の影響と移転工事に伴う環境変化とともに、その姿はまったく見られなくなりました。加えて、外来生物の侵入や水質の悪化が問題となっていました。一方で、水生植物が生育していたほか、多数の野鳥が飛来していました。


深刻化する淡水赤潮

1991年の夏、鷭ヶ池において大規模な淡水赤潮が発生しました。淡水赤潮は構内河川の全面を赤くするまで広がった。この頃には鷭ヶ池の希少な水生植物も絶滅し、乾燥地化とセイタカアワダチソウの繁殖によってヨシ原も消滅した。


再注目される鷭ヶ池

2000年頃まで自然保護の考え方は、人間がまったく手を加えないというものだった。このため、自然保存地は放置状態となり、学生や教員の認知度も低下し続けていた。1994年から工学部技術部を中心に鷭ヶ池保全のための調査研究が開始された。

    

1997年の岐大祭において、「鷭ヶ池から岐阜大学の環境を考える」シンポジウムが日本科学者会議、岐阜地域自然環境委員会、学生有志の主催で開催された。シンポジウムでの報告を中心に、1998年に『鷭ヶ池からみる岐阜大学の環境』が発行された。


水質浄化の取り組み

1994年からの工学部技術部による調査をもとに環境改善に向けた取り組みがスタートした。2004年に自然保存地の北西に井戸(地下30m)が設置された。同年3月から池に井戸水を供給していたが、供給路に鉄サビが多く堆積することから翌年3月にはポンプアップを停止した。


     

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